Lily perfume

ユリの花のように可憐で凛として芯の強い人になりたい

乗り越えなくても、納得できなくても、許さなくてもいい

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こんにちは、いなみです。

 

 

自分では防げなかった理不尽なこと。

そういうことって「どうすればよかったんだろう」と考えても正解がないんですよね。

理不尽なことだから。

自分が原因があって起こったことではないから。

 

 

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全て自分に原因があるわけじゃない

自分の身に降りかかること全部が全部、自分に原因があるわけじゃない。

 

「自分の身に起こることには全て自分に原因がある」と言う人もいるけど私はそう思いません。

 

そう考えてると自分を責めることばかりになり、心がすり減ります。

 

例えば、虐待されている子供に、

「虐待されるのはその子供に原因があるからだ、子供自身のせいだ」って思いますか?

そう思う人もいるかもしれないけど、私は思いません。

こういうケースって100パーセント親が悪いと思うんですよね。

理不尽の極み。

 

 

 

納得できなくても許さなくてもいい

理不尽なことに対して「自分がもっとこうしていれば…」と自分を責めたり後悔しなくていい。

 

そうしたって納得することはできないし、答えが出ない。

 

だからといって

仕方ないと思わなくていい。

納得できなくてもいい。

許さなくていい。

 

許せないのが当たり前。

許せと強要される筋合いもない。許す許さないはこっちの自由。

 

「納得できない、許せない自分」でいい

 

理不尽なことをする相手を理解する必要もない。

 

そういう人は自分のしたことはケロッと忘れていたり

むしろ自分はいいことをしたとすら思っている場合もある。

こちらの立場なんて考えていないのです。

 

 

乗り越えなくていい

理不尽なことって「乗り越える」ものじゃないと思うんですよね。

 

「理不尽なことも乗り越えて強くなれ!」って、それって暗に理不尽なことを肯定しているように感じます。

 

本来、理不尽なことは「あってはならないこと」です。

(虐待、いじめ、パワハラなどなど)

 

そういう乗り越えようとすると、

自分の心の傷に向き合わないまま、何かを得ようと努力することになり

例えそれに成功してもどこかで歪みが出て、何かの拍子で爆発する。

 

 

それに、理不尽な行為を受けると心がズタボロになるので、強くなるどころか逆に心は弱くなります。

 

強くなるために必要なのは、

辛く苦しい理不尽な行為に耐えることではなく

人として尊重され大切にされることです。

 

 

乗り越えようとしなくていいし、そもそも乗り越えるものじゃない。

 

 

乗り越えて強くなれと言う人は、

理不尽な目に遭ったことがないか、

加害者側の人間でしょう。

 

 

必要なこと

必要なのは、乗り越えることじゃなくて、自分の傷ついた心や感情と向き合って自分を癒すことだと思います。

 

「出来事」自体に向き合うと、フラッシュバックみたいな症状が出たり辛くなったりするので

「気持ち」「感情」にフォーカスして向き合うことが大切だと思います。

 

私傷ついてたんだね。辛かったね。って。

 

誰かに、否定せずただ気持ちを聞いてもらうこともいいと思います。

 

否定され続けて生きてきたら、誰かに「気持ちを受け入れてもらう、存在を肯定してもらう」だけでも気持ちが落ち着いたりするものです。

 

癒されて安心できる場所にいることで、強くなれるんじゃないかな。

 

 

自分の失敗や挑戦して挫折したことは「乗り越えて強くなる」ものですが

理不尽な行為は乗り越えるものではないです。

 

 

私の考えですが、読んだ方が救われますように。

 

お読みいただきありがとうございました。